秋山瑞人文体模倣:序論2

序論2

時制と時間経過

「感情移入」をさらに効果的なものにする表現法として、秋山文体においては時制、特に時間経過への意識に特徴があると考えている。
さっそくながら典型例を以下に挙げる。

月ではイジメがはやっていた。
E.G.コンバット

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後のスカイウォーカーだった。
猫の地球儀 焔の章」

めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰かが言っていた。だから、自分もやろうと決めた。
山ごもりからの帰り道、学校のプールに忍び込んで泳いでやろうと浅羽直之は思った。
イリヤの空、UFOの夏

E.G.コンバットの例はメインストーリーの第一文目、猫の地球儀イリヤの空はいずれも物語冒頭である。
秋山文体は物語を過去形で始める、と述べたいのではない。実際、例えば今手元で開いたE.G.コンバット2ndでは現在形で始まる。
述べたい点は、いずれにおいてもそれが「思い出」として描かれている点で共通している、ということである。

「思い出」としての記述

秋山文体では常に語り手が「自分の見聞きした思い出を今語っている」という態で記述されている(「海原の用心棒」においては文字通り一人称体の「思い出」として描写される)。
「思い出」である以上、時制は必然的に過去形を基調とすることになる。過去のある一点で起きた出来事を小説の内容とするのであれば、その小説の舞台となる情報はそれ以前から継続している必要があり、従って「名詞+だった」といった継続的な状態を表すか、「動詞+ていた」として継続的な動作状態を表す、という傾向が強くなる。

加えてそれは単に表面的な時制処理に留まらない。三島や谷崎といった文豪も述べているように、日本語においては過去の出来事を現在形で記述することは頻繁にある。それは単に「語尾のリズム感を良くするため」という非常に感覚的なレベルで行われるが、面白いものでそれによって読者が混乱することは無い(英語にもHistoric Presentはあるがそれをめぐる議論はさておく)。

秋山文体においても同様に現在形はごく普通に、頻繁に登場する。だがそれが「今起きていること」を描写しているのかは微妙なところで、通底する意識として、常にそれが語り手にとっての「思い出」としての描写なのではないか、というのが筆者の考えである。
というのは、下記のように実際の「今」が描写されることがあるからである。

艦長は今でもそこにいる。
「海原の用心棒」

今もダッフルバッグの奥底に突っ込まれたままになっている。
イリヤの空、UFOの夏

秋山文体においてふとした瞬間に登場するこの「今」によって、作中世界が「思い出」であることを強調する効果を生んでいるのではないか。
また、起きてしまった過去の出来事であるがゆえに、既に述べた語り手自身の発言における「あの時ああできたらよかったのに」という後悔や願望、「今」ではもはや叶わないのだ、というやるせなさ、もどかしさを読者に強く印象づけ、ある種のノスタルジックな効果を生じさせているのではないか、と考えている。

こうして語り手が「思い出」としてそれを述べること、そしてある瞬間に語り手が読者の気持ちを作中で代弁することによって、語り手=読者であるかのような錯覚を与え、その瞬間、語り手の思い出=読者の思い出、というような錯覚が生じるのだ、とまで言うと明らかに飛躍しすぎだが、あの異様な臨場感、作中世界への没入感の強さにこの「思い出」という要素が一枚噛んでいるように思うのである。


時間経過と疾走感

上記の「思い出」は全体的な時間経過に対するものだが、それとは異なる効果を狙うものとして、より局所的な時間経過についてここで触れておきたい。
秋山文体においては「疾走感」がその特徴としてあげられる、とは序論1で述べたが、疾走感とはいったい何によって生じるものか、と考えると、小説内における「動き」にかかる時間経過ではないか、と考えている。「素早い動き」が疾走感であるとして、では「素早い動き」を秋山文体ではどのように表現しているのか。

「ナイス夏桐」カデナの声、倒れていく椅子はすでに空、
E.G.コンバット

おもに格闘シーンなどの極短時間に動作が連続して発生している描写でよく見られるが、秋山文体においては「すでに」「その時には」「もう」といった完了を表す表現がたびたび差し込まれる、という特徴がある。
これにより読者がその文を読み終えた時点で作中の動作は完了していること、読み手がそれを理解する速度、もっと言えば語り手の描写速度が事態に追いついていない、ということを、読者自身が体感することになる。
すなわち読者の認識速度よりも高速に事態が進行している、という印象を与えるわけで、これこそが秋山文体において突如生じる緊迫感と疾走感の主要因ではないか、と考えている。
2016/6/20 ズレてると思ったのでこの部分は削る。



なんかもうそれただのお前の思いこみだろ、という思いがぬぐえないので、本稿は書き直しになると思うが、今月何も更新しないとずるずるこのまま一生書かない気がしたため、現時点で公開することとした。