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計量文献学によるアプローチ

計量文献学とは端的に言えば文を統計処理の対象として、そこから特徴量を抽出する学問である。贋作説のある古典作品の作者推定などでたまに登場するが、ニッチな学問であることは間違いなく、研究者の数は世界でも日本でも極めて少ない。

何を特徴量とすると適切かについては色々と考案されてきた。が、そこで扱われている文学作品(つまり母集団)が実に様々である点で少し問題がある。というのも、シェークスピアの作品群に対してある特徴が抽出できたとしても、それが源氏物語の宇治十帖にも適用できる手法かといえばそうではない。同じような母集団で比較することで特徴量の抽出が可能になる以上、ラノベで何が有効な特徴量たりえるかは、結局のところラノベで調べてやってみるしかない。

ということで、秋山瑞人の特徴抽出を目的とした計量文献学的手法を少し試みてみた。いつか誰かが似たようなことを考えた際、その調査の叩き台ぐらいにはなるかもしれないと思ったので、特徴としてうまくいったものだけでなくうまくいかなかったものも記載してある。

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秋山瑞人文体模倣:序論4

情景描写

秋山文体の情景描写は「情景が目に浮かぶ」「臨場感がある」とよく評される。私もそうした見解に異論はない。ないのだが、しかし秋山文体は本当に情景が目に浮かぶことを意図して書かれたものなのだろうか。

E.G.コンバット3rdのあとがきを思い出して欲しい。そこにはこう書いてある。

わたしは基本的には夢見がちなオトコでありまして、「文章でしか表現できないこと」があると固く信じているフシがあります。本文を書くときも、「文章で表現してこそ面白くなる切り口を探して書こう」といつも努めておるつもりであります。

あっているかどうかはさておき、自由間接話法による地の文と内面描写の意図的な混濁、繰り返しによるリズム感も「文章で表現してこそ面白くなる切り口」であると言って間違いではないだろう。しかしそれだけでなく、情景描写においてもこれはやはり意識しされているのではないか。

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秋山瑞人文体模倣:序論3

もうすぐUFOの日である。

前回の投稿日を見たら2年前で笑ったが、あまり気にせず続きを垂れ流すことにしたい。

秋山文体の心地よさ、あるいはリズム感

早速だが秋山文体は読んでいて独特の心地良さがあり、時にリズミカルな印象を受けることがある。これは何に起因するのだろうか。

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